2008-01-30

大隅鹿屋病院、帰還を前に①



2008年1月30日

大隅鹿屋病院、帰還を前に①

2年次研修医 有馬 喬



先日、我が母校である宮崎大学医学部より、臨床倫理がご専門の板井孝壱郎先生に

宮崎からはるばる来て頂き、講義をして頂いた。



…と臼井さんが先に書いてしまったので書くことがあんまり無い(-_-)

「白滝」だの「糸こんにゃく」だの言ってる場合ではなかった。

http://202.133.118.29/trainee_doctor/archives/2008/01/post_48.php



板井先生が所属されているのは、宮崎大学医学部 社会医学講座 生命・医療倫理

学分野というところである。

http://www.med.miyazaki-u.ac.jp/philosophy/index.html

近年どこの大学でも、学内の講座再編が行われ、所属名がやたら長くなって訳が分

からない。

やってる内容は変わらないのだが。



例えば当院で当てはめてみると…。



大隅鹿屋病院 栄養管理学講座 低炭水化物ダイエット学分野 教授 利光鏡太郎

    同院 国家の品格管理学講座 教育科学分野     教授 利光鏡太郎

(兼任)



といった具合である、・・・はい。



講義の方は普段、自分がどこか頭に引っかかってる部分をずばり突いてくる、いわ

ゆる痒いところに、まさに手が届く内容であった。

参加できなかった方はぜひ録画したビデオを見て頂きたいと思う。

医療従事者が抱える避けられない宿命を論理的に面白く語って頂いたので今後の業

務に何らかの助けとなるのは間違いないと思う。



さて、2月1日金曜日が何の日かご存知だろうか?

知っている人は知っている。

知らない人は覚えてね。

不肖ながら、かつての川南町の神童有馬が大隅鹿屋病院に帰還する日である。

http://202.133.118.29/trainee_doctor/archives/2007/12/post_8.php



6月から病院を出て8ヶ月。

長かった。

こどもの発達で言えば、首が据わって、寝返りがうてて、ひとりで座れるようにな

るくらいの期間である。

有馬少年は神童であったので既に8ヶ月には言葉を発していた。

8ヶ月間のまとめはまた後日ということで。

ひとまずの報告として、入院してる子供に呼ばせようとした「アリマックマ」の名

称。

しかし、そう呼んでくれたのは木村先生が1回きりであった。

劉先生に至っては「先生は、何をたくらんでいるんだ?」と言っていた。

自分もまだまだである。



つづく。




研修説明会開催




2008年1月29日

研修説明会開催

教育管理部 臼井之枝



先生方が忙しく、ブログを書けない為、研修事務担当の臼井が書きます。

徳洲会グループ研修説明会が、1月25日の広島大学から始まりました。

先週末は、広島も雪が降っているほどの寒さでした。

もちろん、大隅鹿

屋病院も参加しました。

外科の田口先生がプレゼンをしてくれました。

広島大学医学部の学生の方に、案内をしようと大学に行きましたが・・・。

とにかく、私は寒いのが苦手で・・・。(゜゜)\

動くどころか、寒さに耐えるのに必死でした。

一緒に大学に行った他病院の事務担当の方には、申し訳なかったです。(ごめんなさい)



写真は、昨年の研修説明会の風景です。

説明会に参加される学生さんは、真剣に話を聞いています。

大隅鹿屋病院の現在の研修医の先生方も、この説明会で出会いました。

熊本大学卒の城戸先生は、説明会会場に一番最初に来て、一番最初に帰って行ったのが印象でした。

帰り際に、実習の申し込みだけして、さっさと帰りました・・・。

宮崎大学卒の有馬先生は、とにかく愛想が悪かったのが印象でした。(^O^)

本当に愛想が悪かったので、実は、本当に実習に来てくれるとは思っていなかったです。

1年次の田頭先生は、有馬先生とは逆でとても好印象でした。田頭先生とは、5年生からのお付き合いです。



この、研修説明会が始まると、ついつい、先生方の学生の頃を思い出してしまいます。歳かなぁ?

こんな風に言うと、『おばさんはおばさんだから、しょうがない。おばさんの相手をしている暇は無い!』って、言われるでしょう。(ほぼ毎日の様に言われています)(^_^)

今年は、また沢山の学生さんと出会えるか楽しみです。

説明を聞く側から、現在は、学生さんにプレゼンをする立場となりました。

立派になったなぁと、目頭が熱くなります。(+_;)

現在、決まっている日程は下記の通りです。

是非、このブログを読んでいる学生の方、参加してみて下さい。

大隅鹿屋病院だけでは無く、徳洲会グループ病院の各病院が参加します。

問い合わせは、 kanoya-ikyoku@kanoya-aishinkai.com

教育管理部 臼井までご連絡下さい。会場・説明会時間等お知らせします。

下線が引いている説明会に、現在、大隅鹿屋病院が参加する予定です。

3月の説明会は、今から研修委員長の木村先生と話し合いを行い決定する予定です。





2月1日(金)三重大学   2月8日(金)弘前大学  2月13日(水)鳥取大学

2月15日(金)名古屋   2月16日(土)高知大学  2月18日(月)浜松医科大学

2月21日(木)福井大学  2月22日(金)旭川大学  2月22日(金)富山医科薬科大学

2月29日(金)札幌・北海道大学   3月2日(日)民間医局セミナー(大阪)

3月5日(水)神戸大学   3月8日(土)岡山大学 

3月9日(日)民間医局セミナー(福岡)初期・後期研修合同

3月14日(金)愛媛大学   3月21日(金)筑波大学



全国の学生さん!お待ちしております。




2008-01-28

鼻からこんにゃく出た~♪(これでピンと来たら木村先生並み)



2008128



鼻からこんにゃく出た~♪(これでピンと来たら木村先生並み)

2
年次研修医 有馬 喬




昨日、コンビニでおでんを買った。

先日のこともあるので、今回は半纏(はんてん)を着て行っていない。

http://202.133.118.29/trainee_doctor/archives/2008/01/post_43.php



糸こんにゃくを買った。

「糸こんにゃく」と「白滝」の違いと考えたことがあるだろうか?

一般に、関東では「白滝」、関西では「糸こんにゃく」と呼ぶ。


かつて江戸時代の頃は両者の作り方は異なっていた。

以下に簡潔に記す。



【関東地方(白滝)の作り方】

こんにゃく芋からできた粉を練って糊状にする。

小さい穴の開いた板から、「ところてん」みたいに、むにゅ~って押し出して出

来上がり。



【関西地方(糸こんにゃく)の作り方】

普通に板状のこんにゃくを作る。(どうやって作るかは各自検索)

ひたすら細く切って糸状に叩き切って出来上がり。気合である。




現在は「糸こんにゃく」も「白滝」と同じように、こんにゃく粉を練って糊状にし

て、むにゅ~って押し出す作り方をしているので、製造段階で両者の差は無い。

まとめると、江戸時代は似て非なるものであったが、現在は呼び方が違うだけで同

じものということである。

もちろん地方によって混ざってるものが違う場合はあるだろう。



実はおでんのダシも全国展開するコンビニでは地方によって異なっている。

以下、某コンビニエンスストアの2006年度の資料である。



北海道:かつお節+利尻昆布+いわし節

東北・信越:かつお節+利尻昆布+煮干+宗田鰹節
 

関東:かつお節+利尻昆布


東海:かつお節+利尻昆布+むろ節
 

関西・中国:かつお節+真昆布+牛肉だし
 

九州:かつお節+利尻昆布+鶏肉だし


 

2007
89月は精神科研修で横浜に行ったが、確かにぜんぜん味が違った。


見たことない具の入っていた。

そして、あるはずの具が入ってなかった。

「豚軟骨を。」

と頼むと。

「は?」

「いや、だから豚軟骨。」

「牛スジですか?」

(そりゃ、牛だろ。豚ですらないじゃん・・・。)



関東のコンビニには豚軟骨が無かった。

真夏におでん食べようとするのもどうかと思うところではあるが。

それはまた別の話。



おしまい・・・。



おっと、タイトルの説明を忘れていた。

じつは、からしをたっぷり付けて、糸こんにゃくをすすったら、ムセこんで、鼻か

ら飛び出しただけである。

別にたいしたことではない。

ただ、鼻と口はつながってるんだなぁ、とのん気に考えている余裕はなかった。



おしまい。




倫理の教育講演

style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt">style="FONT-FAMILY: 'MS 明朝'"
xml:lang="EN-US">2008年1月26日


style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt">"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'">倫理の教育講演


style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt">"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'">教育管理部 臼井之枝


style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"> 


style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt">style="FONT-FAMILY: 'MS 明朝'"
xml:lang="EN-US">1月22日(火)、


style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt">"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'">宮崎大学 医学部 社会医学講座 xml:lang="EN-US"> 生命・医療倫理学分野  
准教授
"FONT-SIZE: 10pt; FONT-FAMILY: 'MS 明朝'"> "FONT-FAMILY: 'MS 明朝'">板井孝壱郎 先生


style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt">"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'">を招いて医療倫理の勉強会を行いました。


style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt">height="204"
alt="blog20080128-usui"
src=
"http://202.133.118.29/trainee_doctor//media/img_20080128T054621109.jpg"
width="287"
align="right" />


style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt">"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'">職員xml:lang="EN-US">190名参加しての講演でした。


style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt">"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'">勿論、有馬先生、田頭先生も参加しました。


style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt">"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'">横浜にいる城戸先生だけが、不参加!!


style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt">"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'">って書いたら、『そんな事言うけどねぇ、ぶっちゃけ無理でしょう!!』
と言われるでしょうね。


style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt">"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'">ちなみに、木村先生は人の多さに、中で講演を聞くことが出来なかったらしいです・・・
・(残念)


style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"> 


style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt">"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'">『医療倫理』といえば、難しい・・・・と考えがちですが、ところどころに、
笑いが入り、なごやかな雰囲気でした。実に、先生のお話が楽しかったです。


style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt">"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'">貴重な講演を聞けて、良かったと思っております。


style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt">"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">
勉強会なのに『なんか、面白かったね』と話しながら、階段を下りて行かれる看護師さん達がいました。講演会終了後、
アンケート調査集計を行いましたが、やはり、好評でした。


style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"> 


style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt">"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">
板井先生、本当にありがとうございました。


style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt">"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">
講演の依頼も、快諾して頂けまして、感謝致しております。


style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt">"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">
また、是非、宜しくお願い致します。


style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"> 


style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt">style="FONT-FAMILY: 'MS 明朝'"
xml:lang="EN-US">2月に入ったら、症例発表や勉強会などなど、盛りだくさん準備しています。


style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt">"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'">有馬先生のブログにもあったように、医局の勉強会も行うようになるので、去年と同様、


style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt">"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'">『またぁ、勉強会!?』と文句を言いながら、参加する事でしょう。


style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"> 


style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt">"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">
今後も、院内の教育委員会としても、臨床研修委員会としても沢山の教育講演会を開催出来る様に努力したいと思います。


style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"> 


style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"> 


 



2008-01-25

紅(くれない)だー!(「べに」ではない。)

2008年1月25日

紅(くれない)だー!(「べに」ではない。)

2年次研修医 有馬 喬


唐突なタイトルであるが、X-JAPAN復活の喜びを表現しようとしたら、こう叫んでし

まった。

「紅」はX-JAPANの代表曲のひとつである。

以前お話したように、自分の笑いの原点は「ドリフターズ」である。 height="167"
alt="kurenai20080125-001"
src=
"http://202.133.118.29/trainee_doctor//media/img_20080125T104336546.gif"
width="288"
align="right" />

一方で、音楽性の原点は「X-JAPAN」である。

奇抜な格好で、激しくも美しい旋律、そしてどこか悲しさを含む歌詞。

10年以上経っても色褪せることはない。


1997年12月31日、高校生だった有馬少年は東京ドームでこのバンドと別れを告げた



ライブのエンディングで「Tears」という曲が流れた。


有馬少年が中学1年生の時の3年生が卒業式で退場する時の曲がこれだった。

少年は退場する3年生そっちのけで、この曲に聞き入っていた。

それが最初の出会いだった。height="204"
alt="kurenai20080125-002"
src=
"http://202.133.118.29/trainee_doctor//media/img_20080125T104337953.gif"
width="300"
align="right" />

卒業式後の掃除をほっぽらかして、友人とCDを買いに行った。

(翌日、掃除をサボったとして、2人とも、ひっぱたかれた挙句、武道場の噴き掃除

を命じられた。)

ただ、X-JAPANっていうバンドらしいよって情報だけで飛び出すとは少年もまだまだ

若かった。


当時のCDはまだ、シングルは8cm、縦長のパッケージで、CDをはめるプラスチックの

下半分て何のためにあるのかね~?とか思っていた時代である。パキッて半分に折っ

て手裏剣にしたのは自分だけではないはずである。


その時、友人が「Tears」のCDを見つけた。

「え!?眼?」

「うわ!ちょ、この頭ヤバくね?これ買って帰ったのを親が見たら、息子が不良にな

ったって思わんかな?」

「ていうか、YOSHIKIってバラ??」

このCDが発売された当時、「青いバラ」は地球上には存在しなかった。

現在「青いバラ」はサントリーが開発に成功している、おそらくこの頃は開発チー

ムが結成された頃だったと思う。


このCDを買った夜、少年はこの曲の再生を止めることができなかった。

その夜は、寝てる間もかかりっ放しだったと思う。

それほどの衝撃だった。

ちなみにこの曲は、作曲者であるYOSHIKIが自分の亡き父を歌ったものと言われてい

る。


実はライブのエンディングでもう1曲バラードが流れた。

「Unfished」という曲である。

おそらく、「まだXは終わっていない。いつかきっと帰ってくる。」と少年は信じ東

京ドームを後にした。


そして、1998年5月2日。

X-JAPANのギタリストHIDEが突然の自殺。(真相は分からないが…)

永遠に復活の可能性を絶たれ、少年は流れる涙を抑えることができなかった。


しかし、2008年1月20日、X-JAPANの復活ライブの発表があった。

解散して10年、少年も少し大人になった。

止まったままだった時代が再び流れ出した瞬間だった。

(ヴィジュアル系のバンドでは「時代」と書いて「とき」と読むことが多い。)


X-JAPANはある意味、自分の心の支え的存在である。


話は現実に戻すが、2月から大隅鹿屋病院に帰る。

診療業務のみならず、この病院にとって、そんな心の支え的存在にいつか自分もな

りたい。




今日は、かつてなんちゃってヴィジュアル系バンドだった自分らしく終わってみた



おしまい。



2008-01-24

は~、今日も寒い。

2008年1月24日

は~、今日も寒い。

2年次 城戸 淳

 

とうとう日野病院での精神科研修も今週いっぱいとなりました。

昨日は、看護師を始めとするコメディカルの方と勉強会を開きました。


一応、講師ということでいろいろとスライドをパワーポイントで作って講演しましたが、
結構自信作というスライドはいまいちウケが良くなくて、ある意味力作でないところでみんなほめてくれるので、よくわからんって感じです。


最後のスライドなんか、自分の病院の宣伝もかねて、「鹿屋では、いろいろ有名な品(焼酎、桜島など)、有名な人(横峯さくら親子、
柴田亜衣ばど)いますが、何といっても有名なのは僕が尊敬する井戸弘毅院長が一番です。」と言って、
顔写真と病院の写真まで見せて決めたはずなのに、いまいち反応良くなかったです。むしろ、みんなそこには触れず無視です。完全に失敗でした。


しかし、まあ今となってはどうでもいいことです。今までここで研修してきた先輩のおかげ?もあって、
みなさん大隅鹿屋病院の先生は印象深いようでよく話題にあがり、こちらの病院に対して好意的でした。
うちの病院を知ってもらうのはけっこううれしいもので、これからもいい印象をもってもらいたいと思います。それでは、
最後のひと踏ん張りしますかね・・・・

 


 



2008-01-23

セールスマンとの共通点

2008年1月23日

セールスマンとの共通点

研修委員長 木村 圭一


 失敗談ばかり書いているので、恥ずかしい気もしますが、、、、はい。


 私が研修医になった頃は、今話題のC型肝炎がやっと分かり始め、インターフェロン治療が始まった時でした。
当時は肝硬変になってしまっている人にはインターフェロン治療をしない事になっていたので、肝生検が必須でした。指導医の先生達は、
医者になったばかりの私に全部その処置をさせてくれました。他の先生は忙しかったからとは言え、良く素人同然の私にさせてくれたな、、、、
と思います。


 時々、検査結果が「皮膚です」なんてのもあり、肝生検に慣れてきた頃の話です。


 ある患者さんが私の肝生検を受けるために入院してこられました。入院する時には、
入院する病気と直接関係なくてもレントゲンとか尿検査をします。やった検査は全部見ないといけませんから、、、、
レントゲンを見ると胸水が少し溜まっています。指導医の先生と相談して心エコーをしました。拡張型心筋症の疑いと言う事でした。


 循環器の先生に相談し、心臓カテーテル検査をする事になりました。病状説明をしましたが、患者さんは、
そんな検査は受けたくないと言うのです。そうですか、、、じゃあ仕方ないですねと答え、循環器の先生に報告すると、それはいかんでしょ!
絶対必要だよ!と言われました。再び循環器の先生が説明すると、患者さんはそういう事なら受けますと言うのです(+_+)。


 後で指導を受けました。「医者はセールスマンと一緒なんだから」と言われました。自分が売る商品に関してはきちんと知っており、
素晴らしい商品なんですよ!と思っていないと売れません。私は、心臓カテーテル検査の必要性について理解していなかったから、
患者さんに伝わらなかったのです。確かに、何故症状もなくて、たまたま見つかっただけなのにカテーテル検査なんてしなくちゃいけないのか?
と思っていたのでした。


 色々な指導医の先生に教えて頂き、感謝すると同時に、今の自分は当時の指導医みたいに、
あるいはもっと優れた指導医になっているかな、、、、、と思います。



2008-01-22

男の勲章

2008年1月22日

男の勲章

2年次研修医 有馬 喬


先日、川南病院の開院祝賀会に参加させて頂いた。

川南とは宮崎県の太平洋側の真ん中辺りにある町である。

人口は約17000人、一時期18000人くらいいた気もするが。

畜産を中心に農業の盛んな町である。

比較的歴史の浅い町で日本三大開拓地(他、青森県十和田市、福島県矢吹町)のひと

つと言われ、開拓者の多くは県外の出身、「川南合衆国」と呼ばれることもある。

"The United States of Kawaminami"である。(…なんか格好いい!)

かつて、大日本帝国陸軍の落下傘部隊の訓練地であった。

また、この時、部隊が使用した給水塔がたまにテレビに映る。

この町には「トロントロン」というへんてこりんな地名がある。

カタカナである。

昔は葉書に「トロントロン」と書いたら少なくとも、川南町郵便局までは届いてい

たとの噂があった。

小学生の頃、有馬少年は「トロントロンの由来」を調べて社会の授業かなんかで発

表したことがある。

その由来には有力といわれるのが2つある。

①西郷隆盛が西南戦争からの帰り道、この地域を通った時、ぬかるんだ地面を「ト

ロントロンしてる」と表現したことからきている説。

②湧き水があって、小川となって流れるときに水の音が「タランタラン?ドロンド

ロン?(トロントロン)」と聞こえたという説。

どっちもにわかに嘘くさいがまあ、よしとしよう。

いずれにせよ、幼少期の有馬少年が育った町ということだけ記憶していただければ

結構である。


さて、開院祝賀会には他病院の院長先生も数人参加されていた。

当院からは看護部長さんと事務長さん、事務次長さんが参加されていた。

祝賀会の最後の方に参加された各病院の院長紹介があった。

地元であるということで自分も前に出なさい、との事だった。

3人の院長先生達と、なぜか自分。

「あの若造はどこの院長だ??」的な目線が痛かった。

研修医の頃の木村先生だったら、こんなことはなかったかも知れないと思いつつ挨

拶の順番を待った。


理事長の弟である徳田孝徳先生に紹介して頂いた。

「20年後の川南病院院長の有馬喬先生です!」

「・・・。いや、それはちょっと~。」

なんて思ってると、数人の話し声が上がる。

「たかし君ね??」

「あら!ホントじゃが。」

「ま~。有馬さんとこの。」

「へ~」。


・・・。

「しまった。ここは地元だった。」

自分の知り合いも、親の知り合いもたくさんいる。

まさかとは思ったが、こんなところで会うとは。

しかし、有馬少年の幼少期の呼び名である「たあくん」と呼ばれなくて本当に良か

った。


3人の院長先生方の立派な話の後で、しかも知り合いがいたとあっては、「男☆有

馬!」一発決めねばと思い、ちょっと大きな事でも言ってやろうと思い以下の挨拶を

させて頂いた。




「若輩者の自分は、若輩者ゆえの分をわきまえない発言も時にします。

しかし、その発言も日本の医療をよくしようという熱い思いから出る発言です。

今日は大変失礼ではございますが、2つの分をわきまえない敢えて発言をさせて頂き

ます。

ひとつめ、私の研修させていただいている病院は大隅鹿屋病院といいます。

本日お祝いの花も届けさせていただきました。

しかし、漢字が間違っております、「大隈鹿屋」となっております。

どこの業者さんですかね?

ふたつめ、先ほど院長先生方が救急車のたらい回しについて触れらました。

自分はまだ卒業して間もないですが、あと何年かしたら「救急車は黙って全員俺の

ところに連れて来い!」と言えるような医師になります。

川南病院とはいい関係を持ちつつ、「この地域の救急車は全車任せとけ」的病院に

したいと思います。よろしくお願いします。」


ちょっとお調子に乗りすぎたか、既に院長にでもなったかのような発言をしてしま

った。

若干やりすぎたかもしれない。

「まあいいか。たまには。」と思った。


壇から降りる時、徳田秀子副理事長からこう言われた。


「先ほどの挨拶、ビデオにとってありますので、理事長に見て頂きますね。期待し

てますよ。」

硬い握手を交わしてしまった。




「・・・。ビデオに撮ってるって聞いてねーよ↓↓」




このままだと、単なるホラ吹きになってしまうので、2月からまた大隅鹿屋で頑張ろ

うと思いながら岐路に着いた。


おしまい。



2008-01-21

部屋と半纏(はんてん)と私

2008年1月21日

部屋と半纏(はんてん)と私

2年次研修医 有馬 喬


その日は、久しぶりの冬らしい夜だった。

半纏(はんてん)をはおり、こたつでみかんを食べていた。

大きいみかんより、小さいみかんが好きである。

小さいみかんは味が濃い。

皮を剥くのは難しいが…

そういえば、「みかんを1日に2-3個食べると、冠動脈疾患を有意に減らせる」というエビデンスが出たらしい。


しかし、みかんをあんまりたくさん食べると、体が黄色くなる(柑皮症)。

黄色くなっても食べるのを止めればいい話ではあるが。

黄色くなるのはカロテン(ビタミンAの前駆物質)という成分のためである。

カロテンは油に良く溶ける。

従って、脂質異常症(以前の高脂血症)のある人は、カロテンがよく血液に溶けて流れて行き、身体に沈着するので黄色くなりやすい。


一方、黄色くなるのがみかんのせいでは無い場合(肝胆道疾患による黄疸)はしっかり検査しないといけないので、
黄色い方は受診をお勧めしたい。

国家試験前なので、ついでに…

脂溶性(油に溶ける)ビタミンはA,D,E,Kだけである。

覚え方は、「友達は油DAKE(だけ)!」 

オロナミンCに入っているビタミンBとCなどは水溶性である。

飲んだ後の黄色いおしっこはビタミンBの色である。

着色料の色ではない。


ところで、半纏は風呂上り身体、特に背中を冷やさないところが実にすばらしい。

自分の体温を逃がさないことで体が自然なぬくもりに包まれる。

暖房なんて要らない!(…ってことは無いが)、暖房の温度は低く設定できるので電気代も少しは安くなるのではないか。
(よく付けっぱなしで寝て、朝声がらがら…)

未来の子供達にも是非残してあげたいものの一つである。


昔、飼っていたパグ(中国原産の犬)が半纏を着てお昼寝している有馬少年の暖かい懐に入ってきた事がある。

起きたら涎でべっちゃりんこだった。

有馬家に飼われる犬として全く不届きな犬である。

ちなみに、犬を黙って部屋に上げてそのままにしたのは有馬少年の弟であった。

有馬家の次男として全くもって不届きな奴である。


話を戻すと、年末に半纏のままコンビニに行ったら以前外来で診ていた患者さんに会った。

「あら、先生、お久しぶり!最近いないけどクビになったの?」

大きなお世話である。

「なんか田舎の人みたいですがよ?」

結構大きなお世話である。

「その姿で買い物袋持ったら、奥さんの尻に敷かれる旦那みたいだが。」

かなり大きなお世話である。

「女性の品格」家に送りつけたい衝動を抑えた。


その患者さんは糖尿病である。

ペットボトルのジュースが大好きな方だった。

「ペットボトルのジュースは飲んじゃいけませんよ。」

と外来で何回も説明した記憶がある。


「先生が、ペットボトル飲んじゃダメって言うから、パックのジュースに変えたんですよ。でも少ししか入って無いから本数増えちゃって。


・・・。

意味ねーじゃん。

しかし、言葉足らずな外来をしていた事が情けなかった。

「甘いジュースは飲んじゃダメです。」と、「奥さんの尻に敷かれる旦那」風の半纏姿で説明しても聞いてくれるかなと思いつつも、
まだまだ未熟だった自分の外来を反省した。

外来は入院患者さんと違って、ゆっくり説明できない事も多く、限られた時間の中で、最大の効果を得る説明はなかなか難しい。

あんまり早く切り上げようとすると、冷たい印象をもたれ、だらだら話すと待ってる人がイラついてくる。


帰り道。

やさしい光を放つ白い月。

その光に照らされる白い吐息。

「何でもないような事が~幸せだったと思う~♪」(THE虎舞竜 「ロード」より)

と歌いたくなるのはみんな同じ。

しかし、「ロード」のPV(Promotion Video)、白い息が素敵であるが、結構つばぺっぺである。

ちなみに、友人で「イソジンは塗布した後、乾かないと消毒の効果が無い。」と先輩医師から指導され、「フーフー」した強者がいる。


それじゃ、やっぱり、つばぺっぺである。


買い物袋の中にはおでん。

白滝を買った。

まあ何でもそうだが、良く噛まないと、食餌性イレウス(腸閉塞)の原因となる。

「白滝による食餌性イレウスを呈した医師例」と発表されたくないのでしっかり噛んだ。


おしまい。


 



2008-01-19

患者さんの前では研修医も指導医もありません

2008年1月19日

患者さんの前では研修医も指導医もありません

研修委員長 木村 圭一


 私が初めて受け持った腎臓癌の患者さんの話です。というか腎臓癌の患者さんは一人しか受け持った事がないので、唯一の患者さんです。
その方は、ある病気で通院されていて、たまたま胸部レントゲンを撮影したら多発転移が見つかり、その原発巣を探すために入院され、
内科研修中の私が受け持たせて頂きました。


 原発巣を探すと言っても特別な事はありません。腹部エコーをしたらすぐに分かりました。腎臓に腫瘤を認めると言う訳です。
今だったらそれ以上何もしないのかも知れませんが、私の勉強と血管造影手技の訓練(と言ったら有馬先生に叱られそうですが)のためでしょう、
血管造影をする事になりました。


 病状説明も私がさせて頂きました。「血管造影をしたら癌かどうか分かるから」という説明をしました
��もちろん自分で考えたのではなく、指導医の山田(仮名)先生にこう話なさいと言われたのです)。
話をした事もなかったこわ?い泌尿器科の林(仮名)先生に相談し、血管造影当日になりました。患者さんが検査室へ来られるまで、
林先生の試問がありました。


 手技を最初から説明しなさいと言うのです。こわ?、、、、まず両鼠径部を消毒して
��一方が入らない時に反対にするので両方消毒すべしと私が読んだ本には書いてあったのです)、局所麻酔をして、
穿刺をしてガイドワイヤーを入れて、、、、、と。一生懸命読んだので完璧だったと思います。林先生の顔が笑顔になり、よし!
君にやってもらおう!しかし、今はシースと言う最新の器具があるから、それも使おう!(シースと言うのは説明するのは難しいですが、
別に最新でも何でもなく、私の読んだ本が古すぎたからだけでした)と言われました。嬉しかったです。初めて血管造影は無事に済み、
やはり癌であろうと言う結果でした。


 患者さんにはやはり、結果はどうだったのかと聞かれました。どう説明して良いか分からず、
今日は結果が分かりませんからと逃げてしまいました。指導医の山田先生に押し付けようと思った訳です。しかし、
山田先生からは先生から説明しなさいと言われました。しかし、私は逃げ続けてしまい、患者さんの元へはあまり行かなくなってしまいました。
指導医の山田先生は、私とは別に毎日診てくれていたのですが(癌だと言う説明もしてくれたのかも知れません。
昔の話なので忘れてしまいました)、ある日患者さんが退院すると言って聞かないと看護師さんから言われました。


 患者さんによれば、木村先生が毎日来てくれなくなったので、自分は見捨てられたんだと思う、、、
だから温泉でも行って治しますと言うことでした。私の気持ちの中には、自分は1年目の何も出来ない研修医だから、
自分には責任はないので指導医の先生がちゃんと診てくれているから、、、と言うのがありました。しかし、
患者さんにとっては私の方が重要な医師だったのでしょう。非常に申し訳ない事をしました。もともと肺に転移があった方ですので、
たぶん亡くなったのでしょうが、今でも血管造影をさせて頂く時にこの患者さんの事を思い出しますし、
研修医の先生達にも自分が指導医よりも重要な医師であると言うつもりで接するように話しております(よね、皆さん、していないかな)。


 患者さんにとって目の前に現れる白衣を着た男性(女性は看護師さんと言われる事が多いですね)はみんな医者で、
ベテランも初心者もないと言う事をよく覚えておく必要があります。


 この話、記事にしたような気もするのですが、、、、もし重複していたら笑ってやって下さい。最近物忘れが激しいので、
頭部CTを本気で撮ってもらおうかと考えています(^.^)。



2008-01-18

国家試験

2008年1月18日

国家試験

2年次研修医 有馬 喬


役に立つ体験談であるかは不明だが、国家試験を乗り越え4月に入職される先生へ。


自分は「この会場に自分よりできる人はまずいないだろうなぁ。ていうか、そうじ

ゃね?神童だし。」とほとんど意味不明の確信に近い「根拠の無い自信」を持って試

験に臨んだ。


もし分からない問題に出会ったら…。

「ん?、分からん。」⇒「あ!そもそも俺が分からんのに分かるやつがいる訳無い

な!」⇒「差がつく問題じゃない!無視。」⇒「でも勘も鋭い俺なら正解にたどり着

くのも容易!勘も実力のうち!」

…というように、ほとんど病的なまでの自信を持って3日間を終えた。


国試本番は誰でも程度の差はあれ、不安である。

むしろ不安が全くない人はちょっと危ない人である。

たまにそんな人いるが…。


本番の不安な状況では、「自分は今日まで、一生懸命頑張った。だからきっと受

かる!」といった、「一生懸命頑張った」という「事実」に裏打ちされた「自信」が

背中を押してくれる。

これを「根拠ある自信」という。


しかし、「根拠ある自信」は本番のある種の不安に対して、脆い部分がある。

それは…


「苦手な分野もっとやってたら良かったな。」

「普段あんまり出ないからやらなかったけど、今年たくさん出たらどうしようか

な。」

「みんなもっとやってたらどうしようかな。」

「ガラ!っと傾向変わってたらどうしよう。」

といったものである。

特に本番直前こんな不安が過ぎっていてはできる問題もできない。

まして、実際にこれらの不安が的中してもどうしようもない。

しかし、全ての準備が完璧な人なんてそうはいない。

むしろ、準備の段階でそう思い切ってる人こそ「驕り」である。

みんな不安である。


こんな時、先述の自分の話に出てきた、「根拠の無い自信」がこの種の不安を得意

としている。

この「根拠の無い自信」は普段、その多くが「単なる驕り」や「単なる勘違い」で

自分の成長を邪魔するものである、が本番はこの「根拠の無い自信」を大事にした

い。

もちろん、根拠が無いのだからエビデンスなんてない。

そこにあるのは「勢い」だけである。

しかし、確実に不安をかき消してくれる。

「何かイケてる気がする」、とイケてなくても勝手に思い込んで突っ走る事である



頑張れ。


最後に4月からの話をして今回は終わりにする。

当院を研修病院に選んだ時、「当院で研修すれば、他で研修するよりも2年後、でき

るようになっているだろう。」という事に「根拠ある自信」を持って決めただろ

うか?

それはまず無いだろうと思う。

おそらく「何となくそんな気がする。」という「根拠の無い自信」に背中を押され

決めたのではないだろうか?

しかし、その「根拠の無い自信」は、2年後に事実に裏づけされた「根拠のある自信

」にかわっているはずである。

僕がそうであったから。


4月から一緒に頑張ろう。


 



最近の話題

2008年1月17日

最近の話題

2年次研修医 城戸 淳


あまりないですが…

 

新年があけてもう2週間ですか、はやいですね。精神科研修もだんだん忙しくなってきました。

冬のせいなのか、病棟で発熱患者さんが増えてきました。ここでは、大隅鹿屋病院とちがってすぐに採血の結果もでません。

採血は全部外注です。レントゲンは毎週火曜、金曜だけです。症状がいかにも風邪っぽい人は、べつにそれほど怖くないのですが、

症状が全然ないひとは、どこに熱の原因があるのか考えないといけないのでヒヤヒヤします。特に抗精神病薬も服用しているので、

悪性症候群という恐ろしい病気も考慮しないといけません。また、原因がたとえわかったとしても、肺炎でさえも当院(精神病院)

で治療していくには不可能な状態なので他院にお願いしないといけません。本当に点滴ひとつにしても、
昼間なのに懐中電灯であかりを照らしながら

せまいベッドで行うのでとても大変です。今までいろいろな施設で研修してきましたが、どの施設もやり方が違っていて、
その施設にあったパフォーマンスが要求されます。施設の設備や医療機器の充実度、
医療スタッフの力量など自分の能力だけではなくいろいろと考慮しないといけません。ひとつの施設で研修しているほうが、
やりやすくていいのですが、いろんな施設を回ることでいろんな内部事情、いろんな人の動きや考えを知ることができ、
すこし気持ちが優しくなれたような気がします。正論だけでは事は運べません。とは言っても、無茶苦茶忙しいときに常に人に優しくなれるかは、
まだわかりませんが・・・

これから、レポート、看護婦さんへの勉強会、抄録の発表などやらなければいけないことばっかりですが、がんばりますかね~。本当忙しい。


 



2008-01-16

研修医でも役に立てる事

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2008
"FONT-FAMILY: 'MS 明朝'; mso-fareast-language: JA; mso-ascii-font-family: 'ヒラギノ角ゴ Pro W3'; mso-hansi-font-family: 'ヒラギノ角ゴ Pro W3'">年116


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研修医でも役に立てる事


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研修委員長 木村 圭一


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 私が外科医となったばかりの頃の話です。
私は何事にも自信がないので人生で最も女性にもてる研修医時代にももてた経験がありません(あまり関係ない?)。
手術にもそうだった事は"http://202.133.118.29/trainee_doctor/archives/2007/11/post_5.php">以前の記事で書きました。


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 その頃に部長の先生に言われた事です。手術中の術者は正常な精神状態ではないので、
周囲がサポートしなければならないと言う訳です。そのサポートは、三つあります。ちなみに、遠藤周作さんだったかどなたかが、
何かを話す時に、「問題点は三つあります」と言うと良いと言っていました。何故かと言えば、突然質問されたのに、問題点を整理しているとは、
、、こいつは問題意識のすごいヤツだな、、、と好印象を与えるからです。三つぐらいはすぐ見つかります。そして、まだまだありそうだったら
「さらに付け加えれば」などと言えば良いのです。


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 県名に島のつく県は?「3つあります。鹿児島、広島、福島です。おっと島根もありました。」
今の日本の問題点は?「大きく分けて3つあります。防衛、医療、経済です。さらに付け加えれば、
アジアの中の一員としての自覚と言うような問題でしょうか。さらに言えば、、、、」


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 脱線してしまいましたが。一つ目のサポートは手術の手技です。これは当たり前ですね。
残りは精神的なサポートです。


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 その一つ目は、術者には、まあまあ、、、そんなに怒らなくても、、、
と言う気持ちにさせる事です。手術中はどうしても道具を落としたり、準備が遅くなったりします。そうすると術者のリズムが壊れますので、
術者は不機嫌になります。昔の先生は、どなりつけたり、メスを投げたりして看護師さんや研修医を泣かせたみたいです
��泣くと清潔な術野が不潔になるじゃないかとさらに追い討ちをかける人もいたそうです)。今はそういう人は少ないにしても、
やはり心の中は混乱します。よって助手が先にしかるのです。「ほら!木村先生がペアンって言ってるでしょ!何もたもたしてんの!」
などと言うのです。すると術者は「いやいやそこまで俺は怒ってないよ、、」と冷静になれると言う訳です。看護師さんには後で
「さっきはごめん、君の事が気になるからわざとやったんだよ。今日の夜埋め合わせするから、、、」などと言えば、効果抜群?らしいです
��私は経験した事ないので、エビデンスレベル未確定ですが)。理想の上司星野仙一さんは、そういう感じの人らしいですね。


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 二つ目は、大きなリアクションです。術者が「この肝臓色悪くない?」と聞いてきたら、
「全然悪くないですよ!きれいな肝臓です!」と言うことです。術者は色々不安になります。この血管は切って良い血管だろうか?
それともダメだろうか?と迷います。それが言葉になって出る訳です。明らかにダメだと分かれば違いますと言えば良いですが、
そうでない時には、「切っていいですよ!どんどん切りましょう!」と言うべきです。ベテラン外科医が術者で、
研修医が助手でもそういう言葉を出します。その時に、自分は研修医だから分からないと言うことで「さあ?」「私には分かりません」
などと言ってはいけません。相手が研修医だと言う事は分かっての発言なのですから、もし間違っていても責任は執刀者にあります。
本当は切手も大丈夫だと思っているのですが、
少し自信がないだけです。
背中を押して欲しいのです。ど?んと押してあげて下さい。外科医と言うのは繊細な生き物なんですね、
、、、


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 以上の事は手術中だけでなく、普通の組織にも応用できます。
トップが怒ってばかりではあまり良くないですので、
少し下の者が嫌われ役を買って出て、トップはまあまあ、、、という風になるべきでしょう。
研修医の先生に何かやってもらう場合にもそうでしょう(しかし、この場合には責任は指導医にあるのですが)。「(気管挿管する時に)
大丈夫大丈夫!歯が折れても死にはしないから!」って本当に歯を折られた事ありますが(+_+)。


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 女性にもてる副作用?もある可能性があるので、城戸君やってみてはいかがでしょうか?
��有馬君には不要でしょうね)


 



2008-01-15

元気ハツラツぅ?な日記。

2008年1月15日

元気ハツラツぅ?な日記。

2年次研修医 有馬 喬


オロナミンCは、ビタミンCがレモン11個分。

ビタミンB2やB6も入ってます。

着色料は使っていません。

ハチミツも入ってます。


なんでいきなりオロナミンCの話?という感じであるが。


今日はキムチ鍋をした。

木村先生に辛い物が出る店に連れて行かれた時の対策である。

何事も事前の対策が重要である。


…まあ、というのは嘘であるが。

病院からの帰り、DAIWAに寄った。

白菜、豚肉、もやし、えのき、ねぎ、キムチの素、おやつのプッチンプリンも忘れ

ずに買った。

プッチンプリンの3個入りを買うか、大きいのを1個買うかいつも迷う。

永遠のテーマである。

3個入り買えば、3日楽しめる。

でも1個の量が少ない。

でも楽しめるのは1日だけ。

いや、でも3日も食べなくてもいいか。

いや、でもプリンは好きだから毎日食べても飽きないから3個入れでも…。

永遠のテーマである。


しかし、ひとりでする鍋っていうのもなんというかねぇである。

鍋にしたのは、家の米が無くなってて、鍋なら野菜も取れるし、お腹も膨れるしい

いかなと思った訳である。


ぐつぐつ…となんとも美味しそうな鍋ができた。

昔土曜日やってた「まんが日本昔話」で、鍋が煮える音って何であんなに美味しそ

うな音なのだろうと思った人も少なくないはずである。

しかし、彼らが食べてる時の音は行儀が悪い。

真似してたら、「お郷が知れるから止めなさい。」の一撃であった。

ちなみに、日産セレナのCMで、「まんが日本昔話」のエンディングであった「にん

げんっていいな」がカバーされて流れている。


有馬少年はこの歌が好きだった。

土曜の夜は父と一緒によく歌っていた。

しかし少年の父はアニメソングの歌詞をいい加減に覚えるので、微妙に間違ってい

た。

街に買い物に行った時、ふと歌う父の歌詞が間違ってる事が少年は恥ずかしかった。

自分がお父さんになった時は子供が見るアニメと戦隊モノの歌の歌詞はしっかり覚

えようと思った。


この歌は少年の理想の家庭が歌われていた。

「いいな~いいな~、に~んげんて、いいな~。」

毎日ささやかな幸せを家に持って帰れるお父さんになろうと思った。

(当時は当直というものの存在を知らなかったので毎日家に帰れると思っていた。)

「みんなで仲良くぽちゃぽちゃお風呂。」

みんなで仲良く入れるくらい大きいお風呂の家を建てられるお父さんなろうと思った。

「あったかい布団で眠るんだろな。」

あったかいふかふかの布団を買ってあげられるお父さんになろうと思った。

(電気毛布の人工的な温かさは嫌いなので子供の布団はお父さんが温めてあげようと

思った。しかし自分は寝相が悪いから潰さないようにしないといけない。)

「僕も帰ろ、お家に帰ろ。」

子供がまっすぐお家に帰ってきたくなるような家庭のお父さんなろうと思った。

「でんでんでんぐり返ってバイバイバイ。」

でんでんでんぐり返ってバイバイバイ、しても壁に激突しないくらい大きな家を建

てられるお父さんになろうと思った。


・・・まあ何年先の話か想像もつかないが。


なんだか何の話していたか分からなくなった。


あ、オロナミンCであった。


風呂上りに飲むコーヒー牛乳が切れていたので、代わりにオロナミンCを飲もう思った

冷蔵庫にはキンキンに冷えたオロナミンCが並んでいる。

ふと、取り出すとき落としてしまった。

まあ大丈夫かなと思って蓋を開けた。


プッシャー!!!


オロナミンCは中身まで元気ハツラツであった。

確かに「ふきこぼれますので、びんを振らないで下さい。」と書いてあるが。


・・・。


お風呂のあと、雑巾がけで一日を締めくくったそんな日のお話。


おしまい。



2008-01-12

研修説明会

2008年1月12日

研修説明会

研修委員長 木村 圭一


 徳洲会は全国で卒後研修説明会を開いています。全国の病院から医師が参加し、まじめな話からバカ話まで、
来て下さった学生さんに満足してもらえるよう徳洲会の研修委員会と言うところが頑張って準備をしてくれています。もちろん参加費は無料です。


 なぜそんな事をするのかと言えば、一人でも多くの学生さんが徳洲会を研修先として選んで欲しいからです。
徳洲会で研修した医者の多くは、徳洲会で研修して良かったと思っています。だから、
学生さん達にも同じように良かったと思える研修をしてもらいたいからです。また、実際に徳洲会に来なくても、
徳洲会と言う所への偏見をなくしてもらればと思って参加しております。


 今年も来月からあちこちで開かれます。私は研修委員長なので多くの会に参加しております。理想に燃えた学生さん達のお話は、
年寄りの我々には「そんなの絶対無理じゃん、、、」などと思われても、とても刺激になります。私もあの頃はこんな事考えていたのかも、、、、
と初心に帰る事が出来ます。本当は学生さんを将来研修に来てもらうための医師対策の仕事なのですが、
私は勉強させてもらっているつもりで行っております。


 当院は徳洲会内でも無名?なので、学生さんに話しかけても余り興味を持ってもらえません(なんて言っていてはいけませんね)。
有名病院から来た先生は、多くの学生さんに囲まれて楽しく話していますが、私はいつも隅っこで一人で飲んでいます(^.^)。
学生さんの中にも、友人などと一緒に来ないで一人来ている人もいます。私の相手はそういう方です。そういう人を見つけたら、近づいて行って、
どこの病院の話を聞きたいかと尋ね、その病院の話をするようにしています。もし、その病院の先生が来ていれば、
そこへ連れて行って相手してもらいます。と言うのは嘘で、あの先生は今忙しそうだからとうちの病院の話を聞いてもらいます。
その後興味のある病院の先生に話をしてもらいます。


 こんな引きが弱い勧誘をしていて大丈夫かな、、、と思う事もありますが、一人で説明会に来る人は、意志が強い人です。
ちゃんと話が出来れば、かなりの確率で実習に来てくれます。今年もそういう人たちを探す旅に出たいと思います。学生さん達は、
是非徳洲会の説明会があったら気軽に参加して下さいね。一人で来ても楽しく充実した会になるようにみんなで努力していますので!


 来たら徳洲会に絶対就職させられるとか、変な事は絶対にありませんから!



2008-01-11

知識の共有 

2008年1月11日

知識の共有 

2年次研修医 有馬 喬


医療センターでは毎週木曜日、医局で各科の上級医の先生と研修医が持ち回りで15

分程度の勉強会をしている。

各科の専門的な内容のこともあるが、季節的に流行る疾患の話であったり、専門医

の診察が必要な疾患の場合、引継ぎまでに済ませて欲しい検査や処置の話が結構興

味深く役に立つ。

当院には小児科、産婦人科、脳外科、耳鼻科の常勤医がいない為これらの科の先生

方の勉強会は特に楽しみにしている。


当院は基本的に救急車の受け入れを断らない。

従って、非専門分野の診療をしなくてはならない状況に必ず遭遇する。

いずれは鹿屋医療センターを始めとしたこれらの科の専門医の常勤する施設へ紹介

という形になるが、引き継いだ後に専門医の診療が始まるまでの時間はどう短く見

積もっても1時間はかかる。

この1時間という時間に非専門医である自分は何をすべきなのかということに、救急

医療に携わる医師は自分の専門に関らず常に貪欲でなくてはならないと思う。


これは別に当院の話ではないが、「何でさっさとこっちに渡さないんだ?」「何で何

もやって無いんだ?」「こんなことも知らんのか?」と怒る先生もいるだろう。

そう言いたい気持ちは分かる。

しかしである。

専門医として、非専門医の先生に対して、こうして欲しいとか、欲しくないとか、

このタイミングでコンサルトして欲しいとかいった類の勉強会を開く、といった何

らかの情報の発信をした事の無い先生にはそう言う資格は無いと思う。

つい最近医者になった奴が何言ってんの?って思われそうだが、専門医である自分の

知識を非専門医の先生に共有してもらおうとする姿勢が大切では無いだろうか?


自分は時間がある時は「急性腹症のCT」のホームページでよく勉強させてもらって

いる。

自分は腹にも胸にもメスを入れれない内科医である。(になる。)

だからこそ外科医にしか治療できない疾患を絶対に見落とさない読影力が必要なの

である。

某、徳洲会の外科グループは「メスの持てる内科医」を育成する。

と表して内科的知識の豊富な外科医を育成しようとしている。

実際どのような感じなのか存じ上げないが、その理念には感銘を受けた。


長々と真面目な話をしてしまったが、今日の医療センターでの勉強会の当番が僕だ

ったのでふと思ったことを綴ってみた。

簡単に言うと、当院でもやりましょうよ!って話である。


ちなみに今日発表したテーマは「胃腸炎関連けいれん」。

子供は下痢してる時、突然けいれんすることがあるようだ。

高齢者の方が下痢がひどく体内の電解質のバランスが崩れてけいれんするのとは機

序が全く違う。

予後はいいのだが、このけいれん、よく使われるジアゼパム、ミダゾラム、フェニ

トインといった抗けいれん薬が効かないことがたまにある。

そんな時、リドカインという抗不整脈や局所麻酔に使われる薬が有効らしい。

加えて、小児科の先生のお話もあった。


ちょっと賢くなったそんな一日であった。



2008-01-10

病院実習

2008年1月10日

病院実習

教育管理部 臼井之枝


先生方が忙しく、ブログが更新されていないようなので、事務の私が書かせて頂きます!

年末年始と病院も大変な忙しさだったようで・・・・。

今日は、今度、研修ガイドブックに載せる記事で『病院のアピールポイント』と、
研修医の勧誘にちなんでの有馬先生の病院実習に来られたときの話をしたいとおもいます。

まずは、院長の井戸先生が書いて下さったコメントを紹介したいと思います!

とってもお忙しい中、書いて頂いて感謝、感謝です。ガイドブックだけではなく、ブログを見てくださる皆さんにも読んで頂きたいと思いました。




 


  "#0000FF">height="198"
alt="incho20080110"
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"http://202.133.118.29/trainee_doctor//media/img_20080111T100255640.jpg"
width="129"
align="right" /> 当院は、
陸の孤島とも呼ばれる鹿児島県大隅半島の中心部にある病院です。田舎ではありますが、 陸の孤島である為に、
患者を安易に搬送する事が出来ず、中核病院としてレベルの大会医療を求められています。
各診療科の指導医はその期待に答えるべく一般診療は勿論、高度先進医療や学会活動などにも積極的に取り組んでいます。さらに、
全国から講師を招き、院内講演会の開催を行ったり、各地で行われる医療セミナーにも参加させ、
研修医を育てるための支援を積極的に行っています。


 この他にも当院での研修の特徴としては、
医師の数が比較的少ないための各科の垣根が低く、指導医も情熱を持って温かく指導する為、アットホームな雰囲気の中で研修が出来る事、
田舎の中核病院であるため、さまざまな症例を経験する事が出来る事、研修医一人当たりが経験する症例・処置数が多いことなどがあげられます。


 大隅半島は自然が豊かで、食材も豊富です。気候も温暖で過ごしやすく、研修するには恵まれた環境だと思います。いい研修生活を送る為、
当院での研修をお待ちしております。


次に、有馬先生が学生の時に、病院実習にこられた時の話です。

実習も無事に終え、みんなで食事に行こうとなり懇親会へ突入!!



懇親会が始まって30分位たった頃、なぜか井戸院長に向かって『今日は、院長先生って来られないんですか?』と、聞いている有馬先生・・・・


一瞬沈黙の後、『僕が院長だけど・・・・、知らなかったんだよね?』と、     井戸院長が切り返したのだが、
これで終わらないのが有馬先生でした。    『ホームページで写真は見ていましたけど、印象が全然違いますね。
ホームページの写真はもう少し、キリッとしていたような?』と、有馬先生が言葉を言ったとたん、みんな大爆笑でした。

その時は、大隅鹿屋病院で研修するとは本人が一番思っていなかったでしょうね。そんな失礼な事を言ったにも関わらず、
有馬先生も院長先生から可愛がられています。


院長のコメントにもアットホームとあるように、指導医と研修医との関係も良い形が出来ていて、私が見ていても微笑ましいです。


次回は、城戸先生、田頭先生の秘話をご紹介します。お楽しみに!



僻地離島研修①-主治医振り分けのしくみ-

2008年1月9日

僻地離島研修①-主治医振り分けのしくみ-

2年次研修医 有馬 喬


今日は僻地離島研修(6、7月)のお話。


研修先は徳洲会のルーツ徳之島徳洲会病院。

5月31日に徳之島入りした。

早々にホームシックになった。

鹿屋に帰りたいなあと思いながら病院へ向かった。

4、5月、徳之島に来ていた城戸先生が笑顔で待っていた。

ホームシックの自分に城戸先生の笑顔は痛かった。

痛みの性状は「鈍痛」であったと記憶している。


島を囲む夏の海。

宮崎の海とはまた違った南の島独特の美しさだった。

しかし、その美しさが逃げられない自分の状況をあざ笑う。うひひ。

そして、先に僻地離島研修を終了した城戸先生もあざ笑う。うひひ。


島に着いた日は、歓送迎会だった。

城戸先生の送迎、僕の歓迎である。

逆ならよかったなのになぁ。

どこまでもホームシックな自分であった。

陽気な雰囲気でバーベキューが始まった。

普段の僕ならノリノリとなってさらに雰囲気を盛り上げるのだが、その日はどうも

胃腸の調子が悪かった。

ちなみに胃腸が弱いで有名な、ちびまる子ちゃんの山根君には、「胃腸のマーチ」

というテーマ曲がある。

"http://www.jbook.co.jp/p/p.aspx/2478808/s/">http://www.jbook.co.jp/p/p.aspx/2478808/s/


初めは城戸先生が診ていた患者さんを引き継いだ。

25人くらいだっただろうか。

しかしその日の午後、肺炎2人と脳出血の患者さんが入院し主治医へ。

いきなり3人増えちゃったなあと落ち込みつつ帰った。


が、しかし!次の日に病院に行くと、新たに3人増えていた。

なんと、「最初に診た人が主治医になる。」ルールに加え、「指導医の入院させた

患者さんの主治医に夜が明けるとなっている。」という恐ろしいルールが隠されて

いたのだった。

朝病院に行くと、新入院の患者さんのカルテに、小っちゃーく「有馬」って書いてある。


自分の字がでかい分、余計に小さく見えた。


病棟で「先生字がでかいから、すぐカルテの紙無くなるよね。」と何回か言われた。

「全く地球環境に優しくない研修医だ。」と思われたかもしれない。申し訳ない。


6月は札幌東徳洲会から来ている先生と二人だったが、7月はもう1人2年目の先生が

来た。

ひょっとして受け持ち減るかな?と、思いきや、逆に増えた。


「っていうか、何でよ?」と思い、某院長に尋ねてみた。

「ちゃんと主治医になっている人数、数えているから、大丈夫だよ、平等、平等。でも朝

っぱらから、お前の髭面見ると、お前の名前書きたくなるんだよな。」と、某院長

は言った。


・・・。


確かに札幌東の先生は色白でぱっと見、具合悪そうであった。

しかし、実際彼は心身ともに健康でむしろ自分の方が「胃腸が弱いぞ!」と思った。

よく一緒に飲みに行ったが、結構たくましく飲んでいたと記憶している。

元気にしているだろうか。


もう1人の先生は、徳洲会以外から研修に来られていた。

某院長は「まだ来たばっかりで慣れてないから初めは、担当患者さんは少なめにし

てやるんだよ。」

と言ってた。


ん?Just a moment!

島に来て2日目の自分に、いきなり3人も担当増やしたのは~どこのどいつだ~い?
(にしおかすみこ)                                                                                                                             そして、
受け持ち患者さんは平均40人となった。




「質を下げずに効率の良い診療ができるようになる。」というのが離島研修での自

分の最初に考えた目標だった。


そして、暑い暑い徳之島での熱い熱い研修は続いていく。


つづく。



2008-01-08

皆様、新年あけましておめでとうございます。

2008年1月8日

皆様、新年あけましておめでとうございます。

2年次研修医 城戸 淳


とうとう2008年です。研修医生活もあとわずかですが、なんとかがんばっていきます。

今年は、この世に生まれて32年、博多の櫛田神社で福みくじを引き始めてから25年たってはじめて、なんと、なんとお年玉賞を獲得しました。
でも、でも、でも末吉なんですよ。ほとんど櫛田神社では大吉しかひかないのに・・・・。願い事:あきらめろ、待ち人:期待するな、来ない、
結婚:がんばれば何とかできる。ほとんどろくなこと書いてありません。商品は当たりを引いているはずなのに、
くじの運勢が最悪とは本当にやってられません。

ああ、今年も嫁さんもできずにひとり生活か~、まあ、別にいいけど・・・


ところで、お正月のUターン現象について考えたいと思います。

都会から田舎の実家に帰るというのは、いくら帰省ダッシュで大変だとしても、
田舎から都会の仕事生活にもどる事よりかなり労力的に楽に感じます。これは、なぜでしょうか?

田舎でぬるま湯生活に慣れてしまったため、都会の厳しい生活にもどるのに臆病になってしまっているのだろうか?
さらに嫌なことをしているから疲れるのだろうか?

う~ん、まあ、そうでしょうと言ってしまえばそうです。

それとも、昔から行きは勢いがあるぶん楽なんだという話でしょうか?

でも、僕はここで思うのはエントロピーの法則だと思います。

物理の法則では、原子は、粒子は、物質は、ひとつの場所にとどまることはできません。まして、
物質がある場所にずっと高密度でとどまることは自然の摂理ではできないのです。もし、物質をある場所に高密度にとどめておくには、
なんらかな条件をつくらないといけません。

ここで、PV=nRTという公式を用いたいと思います。

P:圧力、V:体積、n:モル数、物質の個数とイメージしてください。R:単なる定数なので無視。T:
温度ある空間の圧力を二倍に増やそうと思えば、みなさんはどうしますか?そうです、公式上では簡単にするには体積を半分にへらすか、
温度を二倍に増やすか、物質量を二倍に増やすかです。まあいろんな方法ありますけど。手術器具の滅菌方法にオートクレープ法
��高圧蒸気滅菌法)というものがありますが、
たかだか約2気圧下の飽和蒸気圧下で121℃で15-20分間滅菌する方法なのにけっこうたいそうな機械で行ないます。
だから圧力をあげるということはものすごく大変なことです。そうです、高密度の状況はそうそう作れないのです。


また、ある一つの場所にかたまった物質が遠くに飛んでいくには、もらった?もともともっている?
エネルギーを運動エネルギーに変換して運動します。エネルギーがなくなれば、そこで移動は終わりです。それならば、
ニュートンのエネルギーの保存則で考えると、物質がまた一つの場所にもどるにはなんらかなエネルギーを与えて元にもどし、
もともと持っていた高エネルギー状態にしないといけません。

そうです、ここで結論はでました。だから高密度の都会にもどるのはものすごーくエネルギーのいることだし、
都会にいる自分は高エネルギー状態(緊張しっぱなし、多少いらいら感ありで落ち着かない)

で疲れます。やっぱり、田舎にずっといるのが物理の法則的にもいいんですよ。本当にUターンはきついよ。

なんだかんだ好きなことを適当にいいましたが、今年も皆様方とともに切磋琢磨しながらがんばりたいと思いますので、
どうか今年も応援よろしくお願いします。


 



2008-01-07

インフルエンザ

2008年1月7日

インフルエンザ

2年次研修医 有馬 喬


そろそろインフルエンザの時期である。

予防接種は済まされただろうか

幸い鹿児島県では報告はまだ無いようである。

"http://influenza.elan.ne.jp/map_japan/">http://influenza.elan.ne.jp/map_japan/

国家試験前の学生さんは、インフルエンザは5類感染症、鳥インフルエンザは4類感

染症であることを覚えておくと公衆衛生の問題で出るかもしれない。


自分は今年、他施設で研修中だったため、いつ実施されたのか知らず、当院の接種

期限を過ぎてから外来受診してしまった。

当院は「医学的な理由が無い限り原則接種で、 理由無く接種を受けなかった方から

は給料天

引きでワクチン代を徴収するという対応をしています。」(田村内科部長の記事より

抜粋)、であるので、慌てて駆け込む形になってしまった。

申し訳ないことに、駆け込まれた当直中の看護師さん、夕診中の先生にはご迷惑を

かけてしまった。

しかし、他施設で研修中なので、医局秘書さんには個別にアナウンスして欲しかっ

た気もするが…。


昨年度は予防接種したにも関らず、運悪くインフルエンザになってしまい、2日間の

休みを頂いた。

復活した時、マスクをつけねばと思い、病棟の看護師さんからマスクを頂いた。

色はピンクだった。

…。


それを見かけた城戸先生は階段で僕にこう言った。

「有馬君はやることもピンクやけん、マスクもピンクやね~。」と。

公衆の面前で世の誤解を生むような発言はやめてくれたまえ、である。


今年度4、5月は内科研修だったが、季節のわりにインフルエンザで受診される方が

多かった。

インフルエンザ後に肺炎になられた方もいた。

インフルエンザ後の肺炎はその原因となる細菌(起炎菌)が、一般的な市中肺炎と若

干異なるため注意が必要である。


さて、来年当院に入職する1年目の先生は、4月からブログの記事を書くことになる

だろう。

当然、このブログは読んで頂いていることだと思う。

では2人の先生に問題。


基礎疾患がない一般成人の市中肺炎の3大起炎菌は、①肺炎球菌、②インフルエンザ

桿菌、③マイコプラズマであるが、インフルエンザ後肺炎では、肺炎球菌についで

、(    )が起炎菌として多くなる。

ヒントはグラム染色すると、ブドウの房のように見える。当院では感染症診療にお

いてグラム染色は必須である。4月からは手を一緒に赤青黄に染めよう。

ちなみに、4月から内科なのだが、若干の不安というか気がかりなことがある。

ほとんど、内科部長個人との問題なのだが…。


《内科に入るに当たって気になる点》

①「マラソン大会など、走る系スポーツ大会の救護に行って来い。」と言われて行っ

てみると、出場者リストに名前が載っていないかということ。

②「ここの店のカレーは辛くないから大丈夫。」と言われて食べてみると、信じら

れない辛さでないかということ。

③「内科で飲み会がある。」と言われて行ってみると、親のかたきのように辛いキム

チ鍋などが登場しないかということ。

④「4輪駆動のクルマに乗らないと内科に入れないよ。」とか言われないかというこ

と。


悩み多き2年目の終盤である。



2008-01-05

原点-The starting point!-

2008年1月5日

原点-The starting point!-

2年次研修医 有馬 喬


正月休みを利用して実家に帰った。

かつて畑しか無かった家の周りにどんどん家が建っていく。

最近灰色の家が流行っているのだろうか??

どこもかしこも灰色。そんなに白黒つけるのが嫌なのか。

…。


こんな田舎でも確実に時代が流れているのだと思った。

薄暗い廊下を進んで、部屋に入る。

本棚など中学を卒業した時のままになっている。

この部屋を出て早12年。

12年前、去りゆく有馬少年を見送ったこの部屋は、今日も変わらず迎え入れてくれ

る。


その時。

背後に忍び寄るただならぬ殺気。

まさに獲物を狙う獣の殺気。


弟だった。


「あぁ、おかえり。」

なんて表面上「よく帰ってきたね」的な顔をしているが、どう見てもお年玉という

ものを待っている。

思い出せば家族みんなそんな顔をしていたような気がする…

結局、全員にお年玉をあげる羽目になった。

正月にダイエットできたのは財布だけだった。

…。

ちなみにお年玉袋が「ポチ袋」という名前だと今年になって知った。

ていうか、「ポチ」って何だよ!?


ふと窓から外を眺めると、子供が走り回っている。

すごいスピードで自転車に乗る子供もいる。

田舎道とは言え、1日に5~6台は車が通るので若干危ない。


思えば有馬少年も自転車が大好きであった。

少年は足が遅かった。

いくら思い出してみても、ゴールの白テープに触れた記憶がない。

自然と早く走るものに憧れを抱くようになった。


1987年、フェラーリF40という車が発売された。

少年は小学校高学年の頃、この車の存在を知った。今でもその強烈な印象は忘れな

い。

マニアックだがF40のターボのタービンは、日本のIHIという会社で作られたものを

使用している。

この車を知った同じ頃、16年間の空白を経てスカイラインGT-R(R32)が発売されるの

だが…、脱線しまくりなので、GT-Rの思い出は後日。


年末年始は「8時だョ!全員集合」のDVDを見て過ごした。

以前お話したように、ドリフターズは自分にとって笑いの原点である。

自分の全ては、ここから始まった。

とても30年前のテレビとは思えない。

腹の底から湧き上がる鮮烈な笑い。

ドリフターズのツッコミはただ事ではないセンスがある。

ただ滑って転ぶにしても、そこには他のお笑い芸人にはない品格がある。

僕が笑いを取る時、最近流行の芸人を真似たりするが、その影には常にドリフター

ズ、殊に志村けんの姿がある、…気がする。


さて、自分が医師となってからの原点はもちろん大隅鹿屋病院である。

サッカーでも野球でも、ホーム、アウェイという表現がある。

レーシングドライバーも腕が上がれば上がるほど、自分の技を磨いたサーキット、

すなわちホームコースを大切にする。

自分にとってホームである当院は自分の知っている人がたくさんいて、単にやり易

いというだけではない。もちろんやり易いのは言うまでもない。

自分の全ては、ここから始まった。

自分の全ての基礎は当院である。

これから色々な病院に行くことがあるだろうが、この基礎がしっかりしていないと

、行った先の病院の方針、仕来り、癖などに翻弄される危険性がある。

逆に言うと、基礎がしっかりしていれば、それぞれの病院のよいところを吸収しや

すい。

当院が単に2年間を過ごす病院であってはいけない。

自分は3月で当院の研修プログラムを修了する。

4月から内科医としての修練を重ねる一方、この研修プログラムで育った者として、

より優れた研修病院になるために、一石を投じれればと思う。


 



2008-01-04

東京で研修委員長会議がありました(その2)

研修委員長会議(その2)

2008年1月4日

東京で研修委員長会議がありました(その2)

研修委員長 木村 圭一


 "http://202.133.118.29/trainee_doctor/archives/2007/12/post_25.php">その1の続きです。


 会議では色んな事が話されました。内容については秘密なので書けませんが(^.^)、色々な掲示板で言われているような
「この研修制度は最悪だ!」という意見は皆無でした。参加している方の9割が徳洲会でローテーションしている人だったからでしょうか。
学生時代に友人が言っていました。「シケタン(試験に出る英単語、有馬君に申し訳ないので正式名も書いています)
は役に立たないと言う人が多いけれど、俺は全部覚えて英語はばっちりだった!」と。ローテーションをしっかりやってこそ、
今の制度の良さが分かるんでしょうね。今の制度は、指導医からしたら負担かも知れませんが、
何年かしてから良い評価が得られるかも知れませんよね。

 どちらにしても、徳洲会は20年以上前からこの制度を行っていますので、何も思いません。
むしろ補助金が出るようになったので助かっています。


 会議の時に某病院の先生と隣でした。某病院とはうちの城戸君と有馬君が僻地離島研修に行った所です。
田頭先生も来年行く予定なのですが、「大隅鹿屋病院の研修医は、個性的なのはもちろんだけど、たくましいよね、、、とても助かっています」
と言われました。嬉しい事です。


 確かに、みんな個性的ですよね(^.^)。


 また、他の記事で分かるように、診療のポイントをしっかり押さえていますね。劉先生ではないですが、こ、これを教えたのは、お、
俺じゃないよ、、、と言う感じです。どこで覚えたのでしょうかね。はい。当院は都会の病院とは違いますので、
時々一人で色々やらなければならない事があります。何でも一人でやらないと自分の物になりません。

 心肺蘇生法講習会で良く言われる事ですが、インストラクターは受講生の視線にあまり入らないようにしないといけません。そうでないと、
その人はインストラクターである自分を見ながら心肺蘇生をするので、私がいないと蘇生が出来なくなってしまうと言う訳です。
車の運転でも自動車学校の教官が隣に乗っていないと運転できないのでは困ります。

 当院は"http://202.133.118.29/trainee_doctor/archives/2007/12/1214.php">有馬君の記事のように、
そういう訓練が普通にされているためで、指導医の誰かが特別な事を教えていると言う訳ではないでしょうね
��内科の田村先生の存在はもちろん大きいですが)。


 これからも他の病院の先生から、もっともっとたくましいと言われるような医師に育ってくれる事を願っています。はい。


 ちなみに、私がカラオケで何を歌ったか、、、覚えていられないぐらい訳の分からない歌を今度歌ってあげます。
それから声が裏返らないようにも練習しますね。



2008-01-03

年賀状

2008年1月3日

年賀状

2年次研修医 有馬 喬


最近はメールの普及で年賀状書く人も減ったのでは?と思っていたが、意外に減って

ないらしい。やはり、葉書で送る年賀状にはそれでしか出せない味があるのだろう



年賀状と言えば、ちょっと、いやだいぶ苦い経験をしている。

時は1990年代初めにさかのぼる。Mr.childrenが「果~てしない~…」って歌ってい

た頃、暮れも押し迫った12月の終わり。


「明けましておめでとう。去年は二人すれ違いも多く、仲良くできない日が続いた

けど、・・・(諸事情により中略)・・・今年は仲良くしようね。」

と、中学生のくせに歯の浮くような年賀状を書いていた。


が、しかしこの恋文・・・じゃなくて年賀状。

とんでもない所へ届いたのである。


この事実は当然うちの親も知らない。知っているのはこの年賀状を受け取った学校

の先生だけである。先生は女性で旦那さんもお子さんもいらっしゃった。

先生に届いていたなんて、知る由もない僕は、「年末番組はどこも力入れて作るか

ら、まあまあ面白いけど、年明け番組は若手芸人が繰り返し出るだけで、つまらん

なあ、子供なめてんのか?宮崎民放2つしかないんだから表も裏も同じ奴が出てると

微妙だな。」

なんてくそ生意気な批評をしていた。

ちなみに、宮崎では先述の通り、民放2局しかないので、「表」「裏」と言う表現を

する。具体的には「ドリフ見るから裏に変えて。」と言った具合である。


さて、そんな折、忘れもしない1月3日。その先生から1通の年賀状が来た。


「明けましておめでとう。今年も元気な有馬君でいてくださいね。さて、年賀状に

書いてあった気持ち読ませていただきました。しかし、私には残念ながら夫も子も

おります。愛に年齢は関係ないとも思われますが、今の貴方はまだ若過ぎです。将

来に自分の目標に向かってただただ走ってください。大人になった貴方には私なん

かよりずっとずっと素敵な方が現れますよ。その日まで自分を磨くよう頑張ってく

ださい。・・・とちょっと冗談言いましたが、ちゃんと自分の彼女に送り直しなさ

いね。そしてはやく冬休みの課題をしなさい。」


・・・。


吹き抜ける冬の風。

冷や汗をあざ笑うかのように乾かしていく。

名前確認の重要を早くも認識した瞬間であった。



2008-01-01

年賀

2008年1月1日
年賀
教育管理部 臼井之枝

明けましておめでとうございます。

昨年は、ブログを開設して新しい試みをしました。
研修委員長の木村先生や、私の予想では、月1回更新されるかな?と心配しながらの、ブログ開設でした。
しかし、先生方の協力で、ほぼ毎日更新する事が出来ました。
自分の病院のホームページを見たことの無い職員にも、ブログが広まり、読んで頂けた事は、大変良い成果だったと思います。
病院施設で、共通の話題を持ち協力し合えたらと思います。
これからも、研修医の声や、研修風景、研修医と指導医の関係など、皆さんに届けばと思います。

地域格差や医師不足が話題になる中、鹿児島の大隅半島で唯一の研修指定病院として、鹿児島県内、九州に、全国に頑張っている姿を読んでいただけるように、日々精進していきたいと思います。

このブログを読んでいる医学生の皆さん、是非一度、病院見学にお越し下さい。

今年も、大隅鹿屋病院研修医ブログを宜しくお願い致します。