2007-12-04

内科部長・後期研修委員長の田村です。

内科部長・後期研修委員長の田村です。


私の経歴を簡単に紹介させていただきます。


昭和48年静岡県浜松市に生まれ、平成4年に地元の浜松北高校を卒業しました。一応、静岡県ではトップの高校だったのですが、
高千穂出身の外科部長(”国家の品格教育部長””右翼”兼任)利光先生や川南出身の研修医有馬先生のように”神童”
と呼ばれる事は一度もありませんでした。大学入試の前は最後の模試までE判定(合格の可能性20%以下:志望校変更の考慮が必要)でしたが、
入試前に炎の勉強をして何とか長崎大学に合格しました(だから神童と呼ばれなかったのでしょうか?)。
ちなみに高校時代は応援団に入っていてリーゼントに金髪、短ラン、ボンタン(この言葉すら死語か?)、先輩とあったら直立不動で「押忍
��オスッ)!」と挨拶するという今や化石としか言いようがない姿で3年間を過ごしました。
この病院でその姿の名残を知っているのは教育管理部の臼井さん位でしょうか。ここまで書いて思い出しました。「神童」ではなく「ヤンキー」
と呼ばれていました。神童と呼ばれず悔しいので、いつか「ヤンキー、内科部長になる」という本を書いて一山当ててやります。
どうだ参ったか神童有馬!


長崎大学に入学した時点から「卒業したら市中病院で研修して救急をやるんだ」と救急の何たるかを知らないまま固く心に誓っていました。
当時は長期の休みに病院実習に行くということが今ほど一般的では無かったのですが、
��年生の時から長崎の民医連の病院で実習をさせてもらっていました(よく飲みに連れて行って頂いた民医連の皆さん、
結局入職せずごめんなさい)。徳洲会の実習は4年次以上からの受け入れだったので、4年生になるとすぐに茅ヶ崎徳洲会病院へ実習に行き、
そこで展開されている激しい研修に魅了されました。以後は休みの度に徳洲会の病院、民医連の病院、その他の病院(北海道の日鋼記念病院など)
を訪ねて回りました。6年生の夏、日鋼記念病院の実習が終わった後、夏休み明けまでに1週間の時間があったので、
この大隅鹿屋病院に実習に行くことにしました。それまでに福岡徳洲会病院、湘南鎌倉病院、千葉西病院などでの実習は経験しており、僻地
��大隅半島の皆さんごめんなさ

い)の病院も見学してみたいと思っての事でした。




それまで見てきた大病院と比較したら救急搬入の件数、カンファレンスなどどれを取っても見劣りする点ばかりでした
��その当時に勤務されていた先生方ごめんなさい)。しかし、夜間になると内科のスタッフが救急搬入された交通外傷の診療をしたり、
外科の先生が心不全の診療をしたりと当然のように対応していました。それまでに見た病院ではERで研修医がすべて対応し、
各科のスタッフにコンサルトして内科疾患なら内科の当直医、外傷なら外科や整形外科の当直医に対応を依頼するシステムでした。
確かに救急はたくさん来るものの、スタッフになると自分の専門以外は対応しなくて良くなるのだと感じました
��実は専門外にも対応する能力があったのかもしれません、その他の大病院の先生方ごめんなさい)。
研修医の時期が過ぎてからも常に幅広く診る環境で働きたいと思っていたので、迷いはあったもののこの病院で研修を受けることを決めました。




有名研修病院との間で迷いはかなりありましたが、最後は当時の千葉西病院の院長、
現在の新潟県立看護大学教授の吉山先生から頂いた手紙の言葉が背中を押してくれました。原文とは違いがありますが、
以下のような文章だったと記憶しています。「○○病院や××病院を見て、研修システムがよく出来上がっており、
素晴らしい研修病院だと関心しました。しかし、しばらくそこで働いていると何か違うと感じるようになりました。
システムは出来ていても魂が無いのです。良い研修は病院の規模やカンファレンスの数で決まるのではありません。
極論すれば研修に必要なものは三つしかありません。たくさんの患者さん、熱心な指導医、そして一生懸命な研修医です。
それさえ揃えば病院の規模やカンファレンスが少ない事は克服できるはずです。最終的に良い研修は指導医と研修医が一緒に作っていくものです。
そこまで考えてシステムが出来上がった病院を選ぶのであれば良いのですが、その視点は忘れないで下さい。」
この手紙を書いた本人は記憶していないでしょうが、受け取った私は今でも良く覚えています。




この10年間で教えられる立場から教える立場に変わりましたが、
吉山先生からの言葉を胸に刻み良い研修が出来る環境を作っていきたいと思っております。



何気なく話した話や何気なく書いた手紙が何年経っても相手の心に残る事があるのだと思うと言葉を大切にしないといけないと反省する事しきりです
��この前怒鳴ってしまった看護師さん、ごめんなさい)。


以上、年齢と人生経験が不足している分、木村先生ほど気が利いた言葉が書けません

が、内科部長・後期研修委員長からのメッセージでした。

実際の研修が始まってからの話は後日にします。



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